第14話 恥の文化
武士が借金をした。借用書には次のように書かれていた。
「恩借の金子御返済相怠り候節は衆人の前にてお笑いなされ候とも不苦候」(新渡戸稲造著「武士道」より)
金を借りた人間が返さなかったら衆人の前で「笑われ」ても苦しからず、という借用書を書いて証文にしたのだから凄い。
現代なら「笑われる」くらいで借金を返さず済むなら「いくらでも借りるぞ!」の世界であろうが、江戸時代の武士は「笑われる」くらいなら借金は返す。死んでも返す。といった心境を持ちつづけて生きていたのだ。
笑われることは武士にとっては死に値する重大な事であった。武士は嘲笑される「恥」を「死」と同等においていた。そこには武士達の築いてきた恥文化があったのである。だからこそ、この借用文で商人は武士に金を貸したのである。笑われるという恥を許容できないのが武士であって、まことの武士ならば、貸した金は必ず返してくれる。武士達の世界の恥文化を、その階級において最下位におかれた商人達が共有したのである。そのような生き方が武士「道」として認知されて、はじめて「約束を守らなかったら、どうぞお笑いください」あなた様から笑われた自分は、もうこの武士の世界では生きていけません。潔く腹かき切って死にましょう。の世界を出現させたのだ。
先の「葉隠」の項で述べた「武士道とは死ぬこととみつけたり」とはまさにここにあったのである。そしてこの武士道に代表される恥文化は明治になってからも、日本人の精神的支柱となって、つい最近まで生き続けていたのだが、気付いてみれば、あっという間に消えてしまった。最近とんと見かけない。見かけないどころかこの国では「恥」は大手を振って歩いている。借金は「恥」ではないらしい。日本国中に設置された「自動借金機」はテレビの派手なCMで借金を奨励している。多額の借金で自己破産者の数は増えつづけているし借金地獄は家庭を破壊し、挙句犯罪とも結びついていく。借りた金は返すのが当たり前である。しかし、借金が「恥」でないのだから、借りまくってしまう。貸すほうは企業間の競争もあって、なるべく貸そうとする。だからまた借りる。借りた方も何とかなるだろう、位いの軽い気持ちだから始末に悪い。そしてこの国ではそんな消費者金融と呼ばれる業界のトップが最高額納税者となっている。
借金ばかりではない。車内でのマナーの悪さは何も中高生ばかりではない。車運転中のタバコや空き缶の投げ捨ては後を絶たない。学級崩壊もマナーの悪さである。この原因の一つに家庭でのしつけがあるとおもう。一番駄目なのが子供の親達である。試みに悪戯している子供に注意してみるといい。「すみません、ご注意頂いてありがとうございます」と謝意を表す人は皆無であろう。子の親から鬼のような顔で睨みかえされるのが落ちである。
子供が駄目なのは親が駄目だと言うことである。私はそんな光景に出くわす時、いつも後ろにいる、親や連れ合いや家族の事を思い浮かべ絶望するのである。