2009-01-01から1年間の記事一覧

第16話 野口健がんばれ

登山家。一九七三年米国ボストン生まれ。日本人の父とエジプト人の母、母方にはギリシャ、フランス、レバノンの血が流れる。十六歳でモンブランに登頂に成功して以降、七大陸最高峰世界最年少登頂記録を達成したのが、二十五歳の時であった。その彼が九十七…

第15話 草も生えぬ

佐賀の人の歩いた跡は草も生えぬ。 佐賀弁で正確に言うと「佐賀んもんの歩いた跡にゃ草も生えん」と発音する。佐賀人の気質を語るときに必ず出てくる言葉である。これを言う時、人は「働き者の佐賀人の姿と、吝嗇(りんしょく)な佐賀人気質」とを重ねてはい…

第14話 恥の文化

武士が借金をした。借用書には次のように書かれていた。 「恩借の金子御返済相怠り候節は衆人の前にてお笑いなされ候とも不苦候」(新渡戸稲造著「武士道」より) 金を借りた人間が返さなかったら衆人の前で「笑われ」ても苦しからず、という借用書を書いて証…

第13話 蜜泥棒

三男新太郎が八歳の一九八七年四月十九日(日)の出来事。私たちは春日原に住んでいた。玄関前の街路樹の桜の花もとうに散って、若葉に近い季節だった。家には新太郎のおじいちゃんとおばあちゃんが一緒に住んでいて、家の玄関前には二人が丹精こめたつつじ…

第12話 初心

初心不可忘(しょしんわするべからず)とは世阿弥の観世座流の極意である。室町時代の能楽者世阿弥の「花鏡・奥の段」は能の秘儀を伝えている。長い文章なので途中を省くが,『しかれば、当流(観世座流)に、万能一徳の一句あり。初心不可忘此句、三ヶ条の口…

第11話 僕は普通

==ここの作品は1998年ころから2002年の間に書かれたものです== 信じられないかも知れないが、三男新太郎が小学校三年生の夏休みの作文に書いた本当の話である。こう書き出すと、愚息の自慢話を親馬鹿ぶりを発揮して書き出すのではないかとご心配の方もあ…

第10話 屁屎葛(へくそかずら)

アカネ科の蔓性多年草で別名ヤイトバナ、サオトメバナともいう。別名で呼ばれる分にはいっこうに構わないが「屁屎葛」はひどい。この命名はこの花に対する人間の傲慢なる冒涜である。確かにこの花が放つ異臭というか悪臭は人間が好むものではなかろう。しか…

第9話 野中大蔵君のこと

==このシリーズは1999年から2003年頃に書かれたものです== 野中大蔵君は、佐賀県武雄の出身で、武雄高校を卒業して早稲田大学から西日本新聞社へ入社、現在、北九州支社長の要職にある。出身の武雄市と言えば、一千二百年以上の歴史を誇る温泉の町で、市…

第8話 恩師

小学校の一年生の二学期に、突然担任の藤家先生が交代した。藤家先生が出産のために退職されたので、満州から引き上げてこられた女先生が急遽、私達の担任となったのだ。古賀妙子先生との出会いであった。小学校五年生の時の担任は池田岐彦先生。いずれも佐…

第7話 「きけわだつみのこえ」

明日は自由主義者が一人この世から去っていきます。彼の後ろ姿は寂しいですが、心中満足でいっぱいです。」 所感と題する遺書を残して、上原良司は昭和二十年五月十一日、沖縄嘉手納湾米国機動部隊に突入戦死。二十二歳。陸軍大尉。「 私は明確に言えば、自…

第6話 ラーメン屋 一休軒

佐賀市の中心地に近い松原町に松原神社がある。そこには竜造寺隆信公と鍋島直茂公の二柱の御霊が祭られている。私たちはその神社の祭日を「日峰さんのお祭り」と呼んでいた。春と秋の二回のお祭りは、子供のころの最大の楽しみであった。日峰さんとは藩祖直…

第5話 ブルーベリー

ブルーベリーと言えば紫色の小粒の木の実のことであろう。近頃は眼精疲労などの目に良いということで、健康食品としても人気が高い。青いベリー(漿果)ストロベリーのベリーである。 以上のことを記憶していただき本題に入ろう。 私が北九州支社から百道浜…

第4話 サミエル・ウルマン(Samuel Ullmann)

サミエル・ウルマンの詩「青春」をご存じの方は多いと思う。 「青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた想像力、逞しき意志、燃える情熱、怯懦を却ける猛勇心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ」に始まる日…

第3話 佐賀人気質(かたぎ)

佐賀の人間の気質を語るとき「佐賀人の歩いた後は草も生えん」や葉隠の「武士道とは死ぬことと見つけたり」といった言葉から佐賀気質を想像する人も多いと思う。江戸時代は「剛毅木訥」(ごうきぼくとつ)も鍋島武士の世界では融通の利かない、田舎侍の姿と…