第4話 サミエル・ウルマン(Samuel Ullmann)
サミエル・ウルマンの詩「青春」をご存じの方は多いと思う。
「青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた想像力、逞しき意志、燃える情熱、怯懦を却ける猛勇心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ」に始まる日本人の人口に膾炙した詩である。この詩を有名にした人物は「ダグラス・マッカーサー元帥」であり「松下電器創業者の松下幸之助氏」だろう。その両者の「詩」との出会いについては省かせていただく。
サミエル・ウルマンの原文が優れたものであったことが、それぞれの人々の心を捉えたのだと思うが、私はこの詩の和訳がすばらしいと思う。漢詩調の格調高い詩文にしたのがよかった(松永 安左ェ門の訳と伝えられる)。
この詩に感動した人の多くは「老人」であり、おそらく「現役」の人間であった。どのような職業にいようとも、「現役の老人」にとって「迫りくる老い」と「引退」の言葉ほど恐ろしいものはないからである。特に立場がトップにあればあるほど、その恐怖心は大きいようだ。この詩に出会った「老人」達は、小躍りして喜んだ。まさに、わが意を得たりの心境であったろう。そして、この詩は次のように詠い続ける。
「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに始めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ・・・」この後を一部英文で読んでみよう。
you are young as your faith, as old as doubt; 「人は信念と共に若く 疑惑と共に老いる」
as young as your self-confidence, as old as your fear; 「人は自信と共に若く 恐怖と共に老いる」
as young as your hope, as old as your despair. 「希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる」
「大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥まで蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる」
さて問題はこれからである。この詩に感動し「俺もまだまだ現役でやれるぞ」と六十歳過ぎた老人が言わないで欲しい。この詩が詠う「老人賛歌」は会社や組織人としての役割を期待していないのである。この詩から読み取らなければならないのは、詩の冒頭にある「優れた想像力、逞しき意志、燃える情熱、猛勇心、などがなければ十代二十代の若者であっても老人と同じであると解釈すればどうなるか。ウルマンは「老い」は理想や情熱を失うときにやってくる。信念や自信、希望がある限り「老い」たとは言えない。と言う。理想や情熱や信念、自信、希望などは六十歳過ぎても持つことはできるが「優れた想像力や逞しき意志、燃える情熱、猛勇心」などが持てるはずがない。老人は「青春」と言う詩を心の底に燃やし豊かな老後を過ごせばいい。この詩の冒頭部分を日本の若者たちに捧げながらなるべく早く、彼らに道を譲ろうではないか。老人が若者に期待できない世界ほど悲しいものはない。貴方たちは充分に戦ったのだから。
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