第7話 「きけわだつみのこえ」

  明日は自由主義者が一人この世から去っていきます。彼の後ろ姿は寂しいですが、心中満足でいっぱいです。」

  所感と題する遺書を残して、上原良司は昭和二十年五月十一日、沖縄嘉手納湾米国機動部隊に突入戦死。二十二歳。陸軍大尉。

「  私は明確に言えば、自由主義にあこがれていました。日本が真に永久に続くためには自由主義が必要であると思ったからです。これは馬鹿なことに見えるかもしれません。それは現在、日本が全体主義的な気分に包まれているからです。しかし、真に大きな目を開き、人間の本性を考えた時、自由主義こそ合理的になる主義だと思います。」

  上原良司、大正十一年九月二十七日長野県穂高町生れ。昭和十六年慶応大学経済学部予科入学。昭和十八年十二月一日入営。

  「戦争において勝敗をえんとすれば、その国の主義を見れば事前において判明すると思います。人間の本性に合った自然な主義を持った国の勝戦は、火を見るより明らかであると思います。」

  表題の本が光文社から発刊されたのが、昭和三十四年の事である。私がこの本を読んだのは昭和三十年代後半の東京での学生時代であった。その後人に勧めたりして、ボロボロになったので、会社に入って二冊目を購入したのが、いま手元にある本である。昭和四十二年の発行で四十八版となっている。

  人生で影響を受けた本は何か?の問いに、私は躊躇なくこの本を上げる。まさにこの本が心の拠り所として私のその後の生き方を決定したと言って過言ではない。そして、上原良司の凄さはこの本の巻末に書いてある通り、特に軍部は昭和八・九年頃から自由主義者への弾圧を始め、昭和十一年の寺内陸相の声明で「自由主義排撃」を「庶政一新」のための、最大に眼目としてきたのである。太平洋戦争開戦後になれば、自由主義は「敵米英」と同義語のように使われ、自由主義者を表明することは、みずから「国賊」「非国民」であることを宣言するに等しかった。

  まして軍隊内で「こんな手紙を書いたのが二年兵にでも見つかればおそらく殺されるでしょう」といった状況の中で書かれた手記だったことである。

  「私の理想は空しく敗れました。人間にとって一国の興亡は実に重大なことではありますが、宇宙全体から考えた時はじつに些細なことです。」

  二十歳前後の若者たちが、人生や国家のことを自分の「死」と同じレベルで真剣に考えて生きていた。神風特別攻撃隊とは自分自身が「兵器」であり、知覧を飛び立つ日が自分の「死」の日であった。国は政治屋は軍部は「御国のために死ね」と言うが、あなたは「国」の為に死ぬことができますか。若者よ!君の無責任、無関心、無気力が無知、無能となってしまい、やがて、再び君たちに「死」が要求される時代が来ないとは限らない。若者よ君たちの祖国、この日本の行く末をしっかりと見つめてほしい。