第2話 小三治師匠

  平成十四年九月十九日は柳家小三治師匠の福岡における「独演会」が五十回目の記念の会となった。初演から実に二十三年の歳月が流れたのである。時に小三治師匠、弱冠四十歳の若さであった。この間テレビ西日本はずっと主催者であり続けた。その縁で話を続ける。

  師匠はこの五十という数字をことのほか大切にされていて、前回の独演会の際にもその息の長さを淡々と語っておられた。淡々と意気込むでもなく、お客様が少なくなればいつでも辞めていいと思ってスタートした「小三治独演会」。この日の演目は「粗忽の釘」これは昭和五十四年九月の第一回の演目の再演でもあった。会場内には一回から欠かさず参加されている熱心なファンもいてリクエストとして「百年目」を希望されたお客様に、円生師匠に教えを請うたとき、自分には「山崎屋」の方があっているということで、教えてもらえなかったことなど面白く説明したあと、では第一回目のときの・・・で始まったのが「粗忽の釘」であった。

  落語本題に入る前のゴタク(本人談)の「まくら」にも師匠のアイディアがこぼれるようにちりばめられており、時に詩や本の朗読、歌あり、旅の話あり、あるときは「まくら」だけでの型破りの落語の会である。この「まくら」だけを取り出して出版したのが「ま・く・ら」(講談社文庫)である。つまり師匠は「ゴタク」だけでも稼ぐ事ができる、落語界でも珍しい人でもある。

  昭和十四年十二月十七日生まれ(東京都出身)「郡山剛蔵(たけぞう)」という古武士のような本名を持つ。余計なことだが奥さん(本人は片ワレと呼ぶ)の名は「和世」だそうである。

  小三治師匠の言葉を借りれば、趣味は落語というが、彼の趣味はあまり多すぎてここに書ききれないが「塩」と「蜂蜜」の事なら人後に落ちない強烈な思い入れがある。特に塩は今の塩ブームよりだいぶ以前に今日を予知し、史上最高の塩はヴェトナムにありとの信念を持って事に当たっている。事に当たるというのは、「独演会」のまくらで叫んでいるということだ。そして師匠は次に「蜂蜜」の時代の当来を予言して憚らない。

  さて、当日五十回目の「小三治独演会」に足を運ばれたお客さんは度肝を抜かれた。会場の入り口には二百五十キロの「ヴェトナムの塩」が入場者に配るように用意されていたのである。

  ここに小三治師匠の真骨頂がある。どの世界に落語家がお客さんにお土産を持たせて帰ってもらうなんて事があったろうか。楽屋に花束や寿司の差し入れをするのは決まってファンと称するお客さんだ。ところがこの会では、主演たる落語家の小三治師匠がお客にお土産を配ったのである。自然体とか縁とかを殊のほか大事にする師匠の気持ちが、自腹を切ってのお客さんサービスになったのだと思う。そしてこの師匠の生き方がある限り「小三治独演会」は永遠に不滅でありましょう。私はそう信じて、師匠にお礼と感謝の気持ちをつたない文にした次第である。

        * 2008年12月16日の公演はちょうど60回目に当たる。

                        初筆 2002年 秋
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