第1話 「サヨナラ」ダケガ人生ダ
干武陵の漢詩「勧酒」「花発(ひら)いて風雨多し 人生 別離足る」を井伏鱒二は「ハナニアラシノタトエモアルゾ「サヨナラ」ダケガ人生ダ」と訳し名訳と称えられた。
次の漢詩は杜秋娘(としゅうじょう)の作品と伝えられている。
「金縷(きんる)の衣(い)」
君に勧む惜しむ莫れ金縷の衣を 君に勧む惜しむべし少年の時を
花開きて折るに堪えなば直ちに折るべし 花無きを待ちて空しく枝を折る莫れ
訳すれば「金縷の衣装などは大事なものではありません。二度とない若い時こそ大事にすべきです。花が咲いて手折ってもよい時期になったら、ためらわず手折るべきです。ためらって、花が散ってから、枝だけを折るようなつまらぬことをしてはいけません」となる。
「ただ若き日を惜しめ」
綾にしき何をか惜しむ 惜しめただ君若き日を
いざや折れ花よかりせば ためらはば折りて花なし
杜秋娘は李贒(りき)の妾となり、李贒が八○七年に叛乱のかどで処刑された後(その頃彼女は十七・八歳)召されて宮中に入り憲宗帝の寵愛を受け、帝の死後後を継いだ穆宗(ぼくそう)は彼女を皇子湊(そう)の乳母とした。 その後様々な経緯を経て、彼女が四十歳の頃暇をだされ故郷の金陵(江蘇省南京市)に帰った。この詩は李贒の妾の時の詩と伝えられるが、金陵に帰り過ぎし日を惜しんで詠んだもの、と解したほうが趣があるような気がする。
さて次の漢詩ほど人口に膾炙している句はないだろう。
「春暁」 孟浩然
春眠不覺暁 處處聞啼鳥 夜來風雨聲 花落知多少
(春眠暁を覚えず 処々啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落ること多少なるを知る)
この名詩に、わが日本の土岐善麿と井伏鱒二が挑戦して、次なる漢訳を完成した。
土岐善麿 井伏鱒二
春あけぼののうす眠り ハルニネザメノウツツデ聞ケバ
枕にかよふ鳥のこゑ トリノナクネデ目ガサメマシタ
風まじりなる夜べの雨 ヨルノアラシノ雨マジリ
花散りけんか庭もせに(*) 散ッタ木ノ花イカホドバカリ
漢詩とはいえ訳者によってまた時代によってそれぞれに趣のある日本の詩になっているようだ。明治時代の外国文学を受け入れようとする潮流が、海潮音の上田敏がヴェルレーヌの「落葉」を和訳して、原詩を超えた名訳と言わしめたのもまた故なるかなと言うところか。
(*)庭もせに=庭もせまくなるほどに、つまり庭一杯にの意
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